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何かをすることで忘却される、或いは埋没される喪失など喪失ではない。喪失などあり得ないのではないかとさえ思う。何かを覚え続けることは不可能だ。もし仮に断続的な波動であれ、それらは軈て神経系のプロセスにより順化されてしまう。ただの法則になってしまう。あの日の、無数のあの日の、無数の痛みは何なのか。痛みさえフィクションだったのか。俺はすべてを覚えているというのだろうか。観念は増幅させる。屈折しない真実などない。すべてフィクションだとしたら、語るべきことなどもう何もない。ただ「語り」があるだけだ。行為の反復だ。反復は祈りによく似ている。純粋な「行為」だけが潔白なんだ。目を閉じ、天を仰ぐ訳にはいかない。そう思ったが、なぜそう思わなければならなかったのかは分からない。そんなことを考える人間はそう多くない。脳髄は薄氷の上にある。いつ砕け散るか分からない。損傷し溶けもするだろうが、落下するのは常に意識の埒外だ。何が正しいんだ?俺は、私は、こういう人間だと、何がお前にそう思わせたのか。気質とはなんだ?脳神経の気紛れか?着床の失敗か?母親のおつむがたらなかったからなのか。パーソナリティとはなんだ?なにも少年が少女に惚れたのはニューロンが発火したからだとか、それに伴う快楽物質の分泌作用だとか、詩というのはただの脚色に過ぎないのだとかいったありきたりな文句を言いたい訳じゃない。だが、何もかもない、すべてないんだよ。

厳密には人間は喪うことも、得ることもできない、繋がることもできなければ、理解し合うこともできない。コミュニケーションはすべて齟齬の葬列だ。繋がった時には死んでしまう。残るのは感覚だけだ。そう思わせる何か、空虚な何かだけだ。

 

俺は肉体が厭になった。精神が厭になった。そんな嘘をつかなければならない「気質」が厭になった。だが、そんな俺の腕に手を回すのは誰なのだろう。嫌になることを嫌になるのは俺のどの部分だろう。俺は毎秒死に続けている。だから記述する。此処には生きていた俺が反復を繰り返している。何の意味もない。意味などあってはならない。目を瞑るとポンプアップしてくる現象がある。それは痛みを伴っているが、痛みそのものではない。俺は痛みを感じることなどできるのだろうか。いや、俺はもう自分のことさえ信じてはいない。それも厳密に言えば嘘だ。瞼の裏側に浮かび上がる「痛み」の残像を信じている。真実ではない。俺は真実など見たことがない。窓のない部屋で反復を繰り返す。赤い円環。俺に殴られ続ける君を俺が見ている。死んでも死んでも残り続けるのは彼女でも彼女の言葉でもなく、すべて俺の反復の作用に混濁した何かだった。この反復が俺を連れていく。何処までも何処までも。窓などない。何者にも干渉などできない。俺は死に続けるだろう。捉え続けるだろう。

俺の中ですべてがはじまり、すべてが崩れ去っていく。

 

そういうフィクションだ。

 

・・・

 

I'll be your mirror
Reflect what you are, in case you don't know
I'll be the wind, the rain and the sunset
The light on your door to show that you're home
When you think the night has seen your mind
That inside you're twisted and unkind
Let me stand to show that you are blind
Please put down your hands
'Cause I see you

    I'll Be Your Mirror / The Velvet Underground